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思い出話をします

2020/08/13 19:00

田村風起

ブログ

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新型コロナウイルスだとか、そんな事は忘れてパーーっと思い出話でもしましょうか!!!(そんなにパッとしない)

先日、僕の愛する『アイドルマスター』が15周年を迎えました。

15年ってヤバくね?
コンテンツとして15年続くってとてつもなく凄いことだと思います。

15年前というと、ドラえもんの声優さんが変わったり、愛知万博が開催された年ですね。

小泉総理がブイブイ言わせていた頃、郵政民営化が成されたり、JR福知山線の脱線なんて悲惨な事故もありました。

ま、このニュース全部、Googleで検索したら出てきたの書いただけなんですけどね。



というのも、そんな15年前、2005年当時の僕は小学5年生!
やっと分数とかアルコールランプでの実験を覚えたようなクソ坊主。

「ゆーせーみんえいかってなに??」

とか言ってたレベルのハナタレです。

ちゃんと物心はついてるけど、記憶ははるか遠く…。
正直記憶としては薄らとしか覚えていません。

でも、あの時は毎日がとても長かったなぁ。
小学校の授業も長くて面白くない、休み時間のドッジボールだけが唯一の楽しみで、昼の授業も消化試合。

友達と通学路で騒ぎながら帰宅、漁港に集合して夕方まで遊んで家に帰ると晩御飯を貪り食うような、とにかくエネルギーを放出させ続けていたような。そんな毎日を送っていたことは確かに憶えています...(遠い目)

ノスタルジーに浸ってる場合じゃねえ、この記事のためにわざわざ実家に帰ってアルバムの写真を撮影してきたんだ。
良かったら当時のかわいい俺の秘蔵写真を見て行ってくれ!

全然枚数ないけど…。



とーちゃんに連れて行ってもらった愛知万博。


めっっっっっちゃ照れながらコンパニオンのお姉さんに一緒に撮影してもらいました。

いろんな国が出し物をする、世界の文化祭みたいな博覧会でとてもいい経験でしたね。

もっとコンパニオンのお姉さんと写真撮ってもらっときゃ良かったのになぁ! なんてもったいない! クソガキが! 連絡先渡しとけ! ったく〜!



次は運動会の写真。


後方をぶっちぎって余裕の後ろ見ゴール。

一応当時から運動神経は良かったはず…。
いや、悪くは無い程度かな…。

小学生って足の速い奴がモテるじゃん、でも俺はモテなかったのはなぜなんだ!?!?!?!?



この時から15年、社会にもまれ大人になったぼく。

あれ? あんま変わらん説あるな。

地元の友達にも「風起はほんま小学生のときから顔変わらんなぁ」って言われるので、もしかしたらぼく、身体がでっかくなっただけのクソガキのままなのかもしれませんね。



小学校5年生当時の僕に

「お前将来競輪選手になるよ!」

って言っても

「競輪ってなに?」

って言ってたと思います。

でも、実はこのくらいの歳の時に一度だけ、今はなき大津びわこ競輪場に足を運んでいたそうです。

昔はびわこ競輪場で毎年「ウルトラマンカップ」というのが開催されていたそうで、おじいちゃんが一度だけ「ウルトラマンショー連れてってやるわ!」と僕を連れ出してくれたんですよ。

そして、ショーを見たあとに、謎のだだっぴろいスタジアムみたいな所に入った記憶だけが薄らと残っています。

あそこが競輪場だったと合点が行ったのは競輪選手を志し、アマチュアとしてびわこ競輪場に足を踏み入れた時でした。

「あれ、来たことないはずやのになんか知ってるぞここ!」

みたいなね。

たぶんじいちゃん、なんか口実作って孫と競輪打ちに行きたかったんだろうなぁ…。



そんなうちのじーちゃん。

俺が物心つく前くらいに若くして死んじゃったけど、孫が競輪選手になったのを見てさぞ喜んでることでしょう。

ただ、生きてたら生きてたで会う度に

「末脚甘くないか?」

とか

「もっと先行せえよ!」

とか言われてそうで複雑ねぇ。

あの世で田村風起ファンクラブ会員ナンバー01として見ていてくれることでしょう(笑)



はい、以上『アイドルマスター』が始まった当時の子供時代のぼくはこんなクソガキでしたってお話でした。

今も子供が大きくなったような人間が必死にお金を稼いで生きています…。是非応援ください!






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